名ごろも + 久留米絣
久留米絣について
久留米絣(くるめかすり)は、久留米にて200年以上つづく伝統の織物です。
素材は”木綿”でできており、
一つの反物が出来上がるまで、300の工程を経ます。
デザインから完成に至るまでの期間は、なんと3ヶ月―
一反という一枚を作り上げるのにかかる時間。
日夜、職人のたゆまぬ努力から、
生まれてくるものです。
柄によっては、次に制作するのは「7年後」とも言われるようなレアな柄もあります。
100年前の器械により織られた生地は、
今の機械とは訳が違い、
染めなど、
ほぼ手作業の器械。
それだけの時間をかけて制作された一枚を作品の背景におさめます。
縁起物となる、一枚
「名ごろも」シリーズは、
日本の伝統的な和柄の【意味】に焦点をあてた一枚。
和柄は、それぞれに【意味】をもつことをご存知ですか?
古来からの日本の価値観が受け継がれながら生まれた和柄。
開運・厄除け・繁栄・長寿など、
それぞれの柄に意味があり、
名前に衣(久留米絣)を着せることで縁起物として扱っていただけます。
この事を「名ごろも」と呼びます。
久留米絣は、12歳の少女のアイデアから生まれた。
井上 伝(いのうえ でん)
1788年12月29日、久留米藩の城下・通外町に彼女は生まれました。
7〜8歳頃から木綿織をはじめます。
小さい頃から縫い物が好きで、
師匠について本格的に織物や裁縫の勉強も始めたという言い伝えがあります。
そして、12〜13歳頃には、
木綿織で織り上げた白木綿や縞を売りに出していたといいます。
ある日、着古した藍染めに白い斑紋に気付きました。
『こんな模様の着物が欲しい』
そう思い立った伝は、一本一本の糸の状態を知るために、ほどいてゆきました。
すると、紺色の糸が所々白くなっている事が分かります。
そこで、伝は白糸を使い、染めたくない所を別の糸で括って藍で染め、その糸を機にかけて織りました。
しかし、模様はなかなか思い通りになりません。
それでも諦めずに繰り返すうちに、ようやく紺地に白い斑紋が表れました。
これが「久留米絣」の始まり。
人々はその模様を「霜降織」や「霰織」と呼び、
評判になったそうです。
伝は「加寿利」と名づけました。
彼女の名は領内に知れ渡り、
16歳の頃には数十人の弟子が集まったとされています。
21歳で結婚をし、3人の子供に恵まれますが、28歳のとき、夫が病死。
未亡人となった彼女は一念発起し、
生家の近くで『織屋』を営みます。
40歳の頃には、1000人を越える弟子、
400人近くが久留米絣で開業したといわれています。
明治のはじめ、82歳で亡くなりますが、
その後も、伝を慕う愛弟子たちの功績で、全国へ久留米絣が拡がります。
たった一人の女性の
”閃き”、”探究心”、”強さ”、”愛情”
があったからこそ、
この美しい久留米絣は今も愛され続けています。
参考資料:『久留米絣200年のあゆみ』他
久留米絣との出会い
西原糸店
名ごろもシリーズの構想を考えていた頃、
本当にすごいタイミングで出会ったのが、西原糸店の若旦那・西原健太さんでした。
言葉ギフトの広報活動で、
久留米のイベントへ出展していたところ
たまたま通りかかった西原さんが友人に誘われ、
イベントに入ったことがキッカケでした。
そこに広報をしていた杉田と話が弾み、イベント終了後、その足で西原糸店へ。
久留米絣の歴史や想い、流れに惚れて、
『探していた和柄は、これだ!!』
と思い、名ごろもでのコラボレーションをお願いしました(^^)
そこで出来上がったのが、現在の「名ごろも」。
西原糸店の歴史
大正6年から、地元久留米で続く西原糸店—
糸・繊維製品の卸売業『西原商店』として開業しました。
九州の繊維業の中核を担っていた町の発展とともに、商売も進展。
しかし、昭和14年、第二次世界大戦が始まり、
物が手に入らず、
戦前の御縁で『糸』だけは入手できたため、
糸の配給所のようになります。
その後、久留米大空襲に見舞われますが、
親戚宅より生き残った木をもらい、移築。
商売を続け、昭和26年に㈱西原糸店として登記。
それから4代に渡り、経営を紡がれ、現在5代目である若旦那・西原氏の”想い”のもと、
久留米絣を元にしたオリジナルブランド、
他社商品、また久留米発、筑後発の商品を取り揃えています。
久留米を元気に。
そんな想いの基、活動する西原氏の”生き方”に惚れ、
西原糸店から絣を取り寄せています。
久留米絣の織元へ
愛情がたくさん、込められていました
名ごろも+久留米絣が始まって、
ずいぶんと経ちますが、
2015年に八女の醤油屋さんへの作品を、
書道家としての活動でのオーダーで
久留米絣を扱った書作品をと希望がありました。
名ごろもとは金額帯も全く違う作品ですが、
久留米絣も希望の一枚を選びにいくという事でしたので、
ご一緒して、久留米絣の織元へ伺いました。
その時、初めてしっかり織元での職人の姿を拝見。
織元の職人さんたちが「絣」と向かい合う姿は、
真剣さとともに、愛情を感じられました。
ひとつひとつの工程が、
丁寧に扱わないと生み出せない久留米絣。
決して簡単には出来上がってない。
久留米絣の一枚に込められたストーリーは素晴らしいものでした。
「名ごろも+久留米絣」は、
ほんとうにオススメです。